岡田敏武 7

こんにちは!

岡田敏武です

先月までのブログ記事では「考える習慣」について自分の考え方を簡単に書かせていただきました。

さらに細かい内容について書いてもいいのかなとも思ったのですが、さらっと読んでもらえなくなる気がするのでやめておきます笑

ということでこれからどんな事を書いていこうかなと…

やはりどうせ書くのなら印象に残るものを、と思ってしまうので勝手に自分の中でハードルを上げてしまっています。

実際はどんなことを書いてもそこまで読まれていないだろし、印象にも残っていないだろうことは容易に想像できるのですが…笑

でも書くからには

ということで、どなたか何かいい案があればぜひ教えてください!

とりあえずだらだらと書くのはこの辺にして、今回は「当たり前」というワードについて書きたいなと思います。

一つ目に、高校時代から思っていたのですが、当たり前のことを当たり前にこなすのってすごく難しいことだな…。

「学生の本分は勉強である。」私は当たり前だと思います。でも様々な誘惑があったりして当たり前にこなすのは大変です。

他にも「使った物を片付ける。」当たり前だと思います。でも疲れている時、しんどい時はやっぱりこれを当たり前にするのは大変です。

二つ目に、当たり前から学ぶことってたくさんあるな。

例えばスープをお皿に取り分ける場合、特に何も考えずに深めのお皿を用意すると思います。

なぜ?と聞かれたらスープなんだから当たり前でしょ!と答えると思います。

しかしあえてここでなぜ深めのお皿を用意したのかを考えると、様々なことに気づいて勉強になります。

スープは液体だから、平皿だとこぼれやすい。個体ならば平皿の上に高さを出して盛れるが、スープは皿のフチ以上の高さを出せない。

じゃあどんな料理の時でも深めのお皿にすればいい?深いお皿は平皿に比べてそこのものが取りにくい。さらに盛り付けの時に側面から楽しめない。などなど…

このことを、例えば日常の収納に応用し、しまう物によってどんな入れ物を使うか、どう収納するか等を考えるときのヒントにする。

このように無意識にしている当たり前の行動をあえて意識すると勉強になるなと思います。

ということで「当たり前」って深いなと…