石井孝法 180

こんにちは.石井です.
ずっと前から,なぜ組織や人は変化を拒むのか.
これに興味を持っていました.

最近,一つの視点ですが少し理解が深まりました.
プラトンの主著「国家」の第七巻に
「洞窟の比喩」で描かれている情景からも
「なるほど」と思わされます.

洞窟の比喩はあまりにも有名なので
ここに詳細を記しませんが,
佐藤臣彦先生の「身体教育を哲学する」で
根源的「向け変え」としての教育の規定に
書かれている部分を参考にすれば,
われわれがとりもなおさず「無知」で
「他を知らないこと」という束縛から解放されて
「無知を癒やされる」ためには
誰か他者の働きかけによる身体ごとの
「向け変え」が必須条件になります.
なぜなら,この他者による「向け変え」が
試みられない限り,住人たち自身による
世界の実相の把握はあり得ないし,
無知からの解放も当然のことながら
あり得ないことになってくるから.

プラトンの考える「教育」は,
人間の内発的な主体性を前提として
洞窟の住人にとっての
本質的に外発的な「強制」である
「向け変え」の技術として把握されています.

ここで興味深い点は,
「縛め」を解かれて身体全体を
「向け変え」るように強制された住人に
どのような事態が起こるのか,ということです.
「縛めを解かれた住人」に起きる最初の事態は
「苦痛」です.
住人にとっての身体運動を伴う新しい経験である
「歩み進むこと」と「仰ぎ見ること」は
無知からの解放であるにも関わらず
いずれも「苦痛」であるということ.
本来なら喜ぶべきことなのに,
この新しい事態は,
住人には逃げ出したくなるような「苦痛」
としてしか立ち現れてこないです.

この情景があまりにも
自分自身の変化にも一致し
「なるほど」と.
さらに,プラトンは,
この強制の「向け変え」において
住人たちの「慣れ」に関して
注意深く設定をしています.
変化というのは段階的で慣れが必要のようです.
周りから他人に変化を促す時
本人は苦痛を感じていることがわかると
アプローチが変わるかもしれません.
自分自身が変わる時も「苦痛」が伴うことを
理解し,少しずつ慣れていけば
他者の働きかけで自身を成長させることが
できるかもしれません.

嘉納先生曰く
良書と出会うことも
精力善養(善く養う)のようですので
頑張らないと.