色々とあります。
可愛がっていた後輩にも色々あって。
果たして、自分の人生がどうだったかなんて振り返る余地もなく日々が流れていきます。
ただ、一つ言えるのはたくさんの方々に迷惑をかけ、そして、導いて頂きました。
了徳寺理事長、山田監督にお世話になっていた現役時代。
ある日突然。
とある県警にスカウトして頂きました。当時の自分からすれば、それはもう、ありがたい話しでした。今でもあんな僕に声を掛けて頂けた事、感謝しています。
その話しを受け、当時、浮かれた僕は了徳寺理事長に「ありがとうございました」の話しをしに大学理事長室に行きました。
「これで理事長先生とは最後かな」と腹を括り、さっきまでジャージだった車内で、ネクタイをキツめに締めた事を思い出します。
理事長室に行き
「先生、あの…これまでこんな僕で色々とお世話になって…本当に申し訳ないんですが子どもも産まれて…」
理事長先生は僕の話しを懐深く一通り聞いてくださった上で
「…武尊、ダメだ。お前は先生になりなさい。警察じゃない。先生だ。先生になりなさい」
全てを抱えて、腹を括り挑んだ「お別れのご挨拶」でまさかの大どんでん返し。
部屋を出る際には「ありがとうございました、必ず教員になって恩返しします」と了徳寺理事長、山田監督の元での現役続行を表明。
事前に見に行ってた葉山の丘の上にある、庭付きの小さな素敵な中古の一軒家の物件資料をゴミ箱に捨てて帰り、乳飲み子を抱える妻に、理事長の思いを伝え涙した事を今でも思い出します。
了徳寺先生には、未だに何一つ恩返しする事はできていませんが、いつか必ず、了徳寺先生にも恩返しができるよう、精進して参りたいと思います。
そうしてこうして、たくさんの学生に囲まれた「教員生活」は11年目を迎え、了徳寺先生によって意図してつくられた僕の未来は、今や多くの学生柔道家の為に消耗し、費やしていかなくてはならないと、改めて感じたのでした。
当時、まだ幼かった長男は、この前の月次試合で初段を取る事ができました。中学校に柔道部がないので、ソフトテニス部のキャプテンとして毎日頑張りながら、週に一度「お父さんが何をやってきたのか」を真剣に学んでくれています。
先生、ありがとうございます。
引き続き、お元気で居て下さい。