OB 小室宏二

もと立ち

私は高校2年生の時、幸運にも恵まれて全日本ジュニアで2位となり、ジュニア強化選手に選ばれました。ジュニア強化は高校強化の1つ上の位置にあり、メンバーの殆どが大学生です。その集団に高校生で選ばれているというのは大変名誉なことで、当初は大変喜んでいました。しかし強化合宿に招集されるとそんな浮かれ気分など一蹴されてしまいます。

まず朝のトレーニングではスピードについていけない。負け残りダッシュなどやれば最後の一人になるまで走らされました。寝技の稽古だけはそう負けることはありませんでしたが、特に勝てるわけでもありませんでした。(私が寝技に特化し、袖車絞を使い出したのは大学進学以降です)

 一番辛かったのは立ち技の乱取りです。5分×10本(3セット)をもと立ち方式で行い、必ず1回はもと立ちになります。私は最軽量の60kg級でしたし、実績でもギリギリ選ばれたようなモノです。技術も体力も劣っているのは明らかで、組み負けてしまってまともに組めません。10本の乱取りを終えると「誰一人1回も投げられなかった」ということもありました。いえ正確に言うと10本連続などできず、途中でテーピングを巻き直すフリなどして小休止をとることもありました。「天才たちが集い競い合う」それが全日本の強化合宿なのです。子供の頃は「日の丸道衣を着て世界チャンピオンになりたい」なんて思っていたのに、いざその集団に辿り着くとレベルの高さに打ちのめされてしまいました。

あるとき、当時からスーパースターであった井上康生さんが強化合宿に参加しました。実力は言うまでもありませんがそこは全日本の強化合宿、周りの選手も一筋縄ではいきません。いつものようにもと立ち稽古が始まり、私は「きついことは早めに終わらせよう」と1セット目に立ちました。もちろん全然投げることができません。なんとか10本をやり切り、赤紐を次の人に手渡しました。私は掛かる側になり一休み、ふと重量級側に目を向けると康生さんがまだもと立ちをしていました。そして2セット目を終え、それでも下がらず、結局3セット(5分×30本)全てをやり切っていました。康生さんは疲れ果て、整理体操もできずしばらくは放心状態でした。
天才たちが集う強化合宿では、私のような凡人はついていくのがやっとです。その中にあって誰よりも追い込んだ稽古をしていたのが、のちの金メダリストでした。この光景を目の当たりにしたとき、私は「天才が才能以上に努力した姿は手がつけられない存在になる」ということを実感しました。

私は引退後、教師となり「先生」と呼ばれるようになりました。生徒の能力も様々です。とかく生徒は「才能」の部分に着目しがちですが、最も大事なことは「努力」である。このことを「先に生きてきた」経験として伝えていきたいと考えています。

小室宏二