石井孝法 158

こんにちは.石井です.

前回の続きで武道について

日本武道館から
月刊武道で長く続くシリーズ
「武道の可能性を探る」
の原稿執筆の依頼があって
いろいろと考える機会を得ました.
月刊武道7月が私の回ですので
ぜひ読んでほしいです.

私自身「武道とは何か」がわかっていませんが
みなさんにも考える種を.

武道修行の目的は
心身の統一と精神修養が強調されます.
「強調」されるが大事です.
スポーツでも精神修養できるので.

フェデラー(テニス)の
社会貢献活動をみると
超一流企業がスポンサーになる
理由もわかります.
彼は人格者です.
で,精神修養の先は具体的に何でしょう?
柔道でいう「己の完成」のために
最善を尽くすとしても
「完成された己」とは何でしょうか?
そして,精神修養をする場合に指導者は必要でしょうか.

ここを突き詰めると
「まいったなー」になります.
情報資本主義の中で生き
平均化教育を受け
大衆化された人々の中で
心身の統一と精神修養を強調した
何かができるでしょうか.
これができないことに気づきます.
GHQ以降「スポーツ武道」を「武道」と呼び
他者と比較するスポーツを
我々はやってきたわけです.
その結果,競技スポーツで
勝ってきた人が
優越性を証明したがる欲求で
マウントを取り続けるという
今があります.
マウントだけじゃなくて
ポジションもか..

これまでの「武道」で
精神修養されているのであれば
目指すべき「誰か」がたくさんいても
おかしくありません.
みなさんはどうでしょう.
競技(スポーツ)武道を引退して
「人」として目指したい「誰か」はいますか.
子どもの頃は,
あんな選手になりたいと
目指す「誰か」がいたと思いますが.

「人」として目指したい「誰か」が
どれだけ武道の中にいるのか.
それが可能性を表していると思います.