OB 佐藤武尊

【皇學館大学について】
了德寺OBの佐藤武尊です。
現在は、三重県伊勢市にあります皇學館大学にて教鞭を取りながら柔道部の強化にも勤しんでおります。

今回は皇學館大学について、少し。

明治15年(1882年)
明治15年に、皇族であり、当時伊勢神宮の祭主であった久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう)から宇治今在家町(伊勢神宮の目の前)の林崎文庫(当時の学問所)内に皇學館設置の令達(皇學館を作るように命令)が発せられました。

明治36年(1903年)
勅令として神宮皇學館官制が公布され、内務省所管の官立専門学校となりました。(いわゆる当時の国立の高等教育機関)

大正4年(1915年)
その後、当時の館長「武田千代三郎」が倉田山(現在の皇學館大学)への移転を計画。この武田千代三郎は「駅伝」の命名者としても知られ、当時、嘉納治五郎と共に大日本体育協会を副会長として支えていました。

この事から、当時、柔道の創始者である嘉納治五郎が「皇學館」を認知していたということが間接的にわかります。

で、以後、色々あって、

平成24年(2012年)に佐藤武尊が赴任し、かれこれ10年が経ちます。

先述したように、皇學館は明治15年(1882年)に前身である学問所が設置されました。そして、本学は今年で140周年になるわけです。
そして、明治15年(1882年)に創始された柔道も同じく140周年になります。

このように、柔道と皇學館は同い年であり、縁があるのです。

柔道の歴史について少し勉強した事があればご存知かと思いますが、明治以降、西洋文化の往来によって武芸が廃れていく事を危惧した嘉納治五郎により、明治15年(1882年)に柔道が創始され、今日まで守られてきました。また、同様に西洋文化の往来によって皇学・日本の伝統文化が廃れていく事を危惧した久邇宮朝彦親王により、皇學館が設置されたわけです。

また、嘉納治五郎も皇學館の事を認知し、当時の皇學館の館長武田千代三郎と一緒に日本体育の為に頑張っていたとの事です。

これらの事から、皇學館大学は柔道においても強くあって、そして柔道も含む日本の歴史や文化を体現していかなくてはならないというのは必然だと思っています。

この伊勢の地から、皇學館大学を通して、日本柔道界に貢献できるよう、部員共々尽力して参ります。

これからも、佐藤武尊と皇學館大学をよろしくお願いします。