石井孝法 166

みなさん
冬季北京五輪はご覧になったでしょうか.
僕は,ハイパフォーマンスの
スポーツを観ていると
単純にのめり込んでしまうので
相当スポーツ好きなんだなと思いました.

で,スポーツ好きとして
観ていたオリンピックでしたが
専門家としての目線でもいろいろと
興味深いことが多かったです.

日本でもニュースになったものでいうと
フィギアスケートのワリエワ選手のドーピング問題と
スキージャンプの高梨選手のスーツ規定違反です.

これは,どちらともドーピングの話です.
ドーピングは
「スポーツにおいて禁止されている
 物質や方法によって競技能力を高め,
 意図的に自分だけが優位に立ち,
 勝利を得ようとする行為」のこと
ですので,スーツを改良して
ルール違反をすることも
ドーピングの概念から考えると
同じものです.

さて,このどちらも
専門家としては
非常に考えさせられる問題なんですね.
私たち専門家は
コーチであれ研究者であれ
開発者であれ
「偶発的要素の最小化」を
目指します.
つまり,
「偶然に」の要素をなくしていき
他の国をリードするコーチングや
優位に立つための研究を行うんです.
基本的な考え方として
ドーピングの定義に含まれる
ある「方法によって
 競技力を高め,
 意図的に自分だけが優位に立ち,
 勝利を得ようとする行為」
を追求しているわけです.
となると,
誰が決めているかわかりませんが,
スポーツで禁止されているものは
ドーピングとして扱われて
それを犯したものは悪人のように
なるわけです.
国際競技力向上の追求と
ドーピングはベクトルが同じなので,
相反するものではなく
紙一重の問題になります.
例えば
日本と貧しいアフリカの国で考えれば
衣食住が整っている日本は
環境ドーピングをしているといえます.
栄養士の方が
「こういう食事をするとパフォーマンスがあがる」
といってアフリカでは実現できない
食事ができるのであれば
これも栄養ドーピングです.

専門家からすれば,
科学は禁止されていないだけの
ドーピングなんです.

言葉遊びになってしまいましたが,
ルールの範囲内で
最大限のパフォーマンスを発揮させる
ことを目指していた人たちは
決して悪ではないことを
理解しないといけません.

昔,旧ソ連や東ドイツが国家として
効果のある物質を投与していたことは
記録に残っていますが
各国の天才たちが
ルールの範囲内で
(細かなルールがない時代に)
「偶発的要素の最小化」
を目指したものなんです.
これは悪でもなんでもなく
その時代の成果です.

「いたちごっこ」と言われますが
当たり前のことで
専門家は現時点のルールの範囲内で
将来ドーピングになり得ることを
必死で考えています.
私たちがテクノロジーを活用した
情報分析を行うことも違いはないのです.

こういう目線も持っていただき
特定に人を攻撃するようなことだけは
避けていただきたいなと思いました.

あくまでも個人的な意見です.