OB 小室宏二

了徳寺学園OBの小室宏二です。

今回、初めて当ブログに掲載させて頂くことになりました。

私は2001年1月から2004年4月までの期間、了徳寺学園柔道部の1期生としてお世話になっておりました。この3年4ヶ月の期間中、大学院にも進学することができ、何より思い切り柔道に打ち込むことができました。柔道の成績で恩返しすることは充分にできませんでしたが、今でも大変感謝しております。

退職後は母校・足立学園での講師や、講道館の勤務を経て、現在は教職(東京都市大学付属中学校・高等学校)に就いて8年目を迎えております。

さて私には少年時代から「柔道で世界一になること」と並んで、「金八先生みたいな熱血教師になる」という夢がありました。前述の通りその1つを実現することができたのですが、そんな私にもできれば避けたい、もっと言えば逃げ出したい行事が毎年1つだけあります。それは・・・

「4月の保護者会」です。

新年度を迎えると、2〜3週目の土曜日には保護者会が開催されます。主な議題は「PTA役員決め」です。柔道でいかに強くなるかを考えていた頃には想像もつかなかったことですが、この「保護者会で役員を決める」ということが実に困難で、そして苦しいものなのです。多くの保護者は仕事や家事、その他の兄弟・姉妹を抱えておりPTA活動に協力したいという意思はあっても、実際の活動は容易ではありません。もちろん、その活動はボランティアです。なかなか引き受け手はいません。

勤務校で初めて担任を受け持った年、例外なく保護者会は開かれ、そして予想通り役員決めは難航しました。どの保護者もうつむき、一切目を合わせてはくれません。気まずい雰囲気の中、10分、20分、そして30分が過ぎそれでも何も決まりません。まだ初夏には早い季節なのに、額から汗がしたたり落ち、終わりの見えない我慢比べが続きます。

40分を過ぎたあたりで私が「抽選」での役員決めを提案します。どの保護者にも事情があります。ある意味、抽選は公平でもあります。恨みっこ無しで抽選が開始されました。そしてある女性保護者が当選(?)したのです。しかし・・・

「私には持病があり、学校に来ることすら困難な状況でとても引き受けられるような体調では・・・」

と、固持します。困りました。

抽選をやり直すか?(いや、また次の人が固持する可能性もある)
なんとしてもこの方にお願いするか?(いや、おそらくは無理だろう)

 私の緊張感は頂点に達し、着ている上着にも汗染みが浮き上がるほどでした。どうする?どうしよう?人生でこれほど焦った経験はありませんでした。
その時・・・・

『先生、私がやりますよ』

ある男性保護者が手を上げ、引き受けてくれたのです。私にとってはまさに救世主でした。

寝技の小室がか弱い女性に「まいった」しそうになっていた。
それを見たらもう助け船出すしかないでしょ。

聞けばその男性保護者は了徳寺学園に勤務しており、私のことも以前から知っておられたそうです。

就職浪人をしてしまい、所属先を探しながら彷徨っていた私を拾ってくれたのが了徳寺学園でした。そして初めての担任、その最初の保護者会で私を救ってくれたのもまた了徳寺学園の職員だったのです。なにやら運命的なものを感じずにはいられませんでした。

そんな私も、今では若手からベテランの枠に入りつつあり、体育科の主任として日々を穏やかに過ごしております。現役選手の皆さんを陰ながら応援しております。